トークとーく/東レACS社長・寺崎志野さん
2003年07月07日 (月曜日)
東レグループ初の女性社長が誕生した。CADシステムの開発・販売を行う東レACS(東京都中央区)の寺崎志野社長は、東レにSE(システムエンジニア)として入社後、一貫してアパレルCADシステムの開発・販売に携わってきた“たたき上げ”。今でこそ東レACSと言えば、CADベンダーの最大手として国内最大シェアを持つが、寺崎社長入社時の東レには、システム開発のノウハウは全くなかった。ゼロからのスタートで同社を今日の姿にまで引き上げた功労者の一人が寺崎社長。その経歴は会社の歴史とイコールだ。
CAD一筋の“たたき上げ”
――東レグループ初の女性社長誕生です。まずは経歴から。
東レに入社したのが1970年。前年にCGC(コンピューター・グレーディング・センター)プロジェクトが決まり、女性のSEを募集していました。CGCとは「グレーディングとは何か」を教える目的もあって、型紙サービスセンターを全国4カ所に設立するというプロジェクトでした。
お茶の水女子大の理学部を出て、同級生はコンピューター会社に就職した人が多かったのですが、実家が衣料品を扱っていたこともあり、繊維に携わる仕事をしたいと思って東レに入りました。東京システム部に配属され、給与計算の業務と兼務しながら、一人でグレーディングソフトの開発を始めました。大型コンピューターを使って作りました。
昭和40年代に既製服が広がりを見せ始め、当初は標準サイズだけだったサイズが拡大することで、ハンドグレーダーの仕事をソフト化し、型紙を出力するニーズが生まれていたのです。
私は日本で唯一のグレーディングソフト開発者だと思います。ソフトを開発することで、新しい市場を作ったという自負があります。
ユーザーサービスの向上図る
――東レという繊維素材メーカーが、なぜコンピューターソフトを自社開発しようと思ったのでしょう。
当時のSE出身の上司が、「市場の変化に対応するためには、自ら開発しなくては」と考えたようです。先見の明ですね。別の上司がグレーディング理論を構築し、プロジェクトは3人を中心にやっていました。
75年にグレーディングセンターが出来、CGCは解散する予定でしたが、システム販売に事業展開しようということになりました。当時は有償でソフトを販売しているところはなかったんです。これをシステムと合わせて売ろうと。コンピューター、モニター、プロッター、ソフトを合わせて3億円でした。三陽商会が導入してくれました。
多分、ソフトを販売したのは東レが世界初でしょう。システムで販売したのも、業種を問わず日本初だったのではないでしょうか。
86年ごろには、システム価格が6000万円ぐらいになりましたが、まだ縫製工場が買える値段ではありませんでした。
その頃、米国でDOS版のパソコンとCG(コンピューターグラフィック)ソフトを初めて見て感心しました。翌年、パソコン版CADシステムの企画提案をしました。DOS版パソコンでCADソフトを走らせるのは困難でしたが、やり遂げました。
価格は1000万円を目標にしました。リースなら月に20万円で、縫製工場にも使ってもらえる価格です。「かんたん、かしこい、パーソナルCAD」をキャッチコピーにした「シノマ」の登場です。女性3人のスタッフで、開発から販売まで手掛けました。CADは女性ユーザーが多いですから、女性が開発したというので親近感を持ってもらえました。
まずアジア、次に欧州へ販売
――それが元となって、現行のウインドウズ版「クレアコンポ」があるわけですね。91年には営業に移り、00年の分社化(東レACS設立)で海外営業グループのリーダーに。
自分でなければできない新しい仕事をと考え、「海外営業」の旗印を上げました。92年にワールドが中国・上海の工場にシステムを導入して頂いたのが最初です。当時の中国には「データ」という概念がなく、FD(フロッピーディスク)にデータを記録するということの説明から始めました。苦労しました。
――さて、社長としての方針を。
国内事業は順調に伸びており、これまでの方針と変わりません。よりサービスの向上を図ります。まず、ウェブを使ったユーザー向けのQ&Aの仕組みを、秋以降にスタートさせます。これで24時間対応できます。もう一つは、技術者を増員してシステムサポートを充実させます。アパレルとSOHOのネットワーク化をサポートします。
中国は、上海の総代理店を拠点に、現地独立系アパレルへの拡販を進めます。華南の代理店は、広東省に欧米の取引先を持つユーザーが多いことから、欧米アパレルが要求していることを知り、ソフト開発に反映させる情報拠点としての役割も重視しています。
次の拠点としては大連を考えていますが、代理店を探しているところです。代理店の条件は、ハードウエアを持ち、システムサポートが出来るところ。SARSで中国一極集中はリスクがあると認識したので、インドの市場対策も考えています。こちらも代理店を探しているところです。
――目標は。
日本からアジア、世界へと「東レACS」のブランドを広げるのが仕事だと考えています。まず向こう2年で中国とインド。次の2年でヨーロッパを目指したい。そのために代理店経由で顧客ニーズを集め、ソフトの機能を向上させていきます。開発と技術の経験があるので、必要な機能を細かく積み立てて提案します。
記者メモ
入社以来33年間、アパレルCAD一筋。「1つの事業の中でゼロから始め、同じ仕事をやって来られたということは、サラリーマンとしても女性としても、とても幸運なことだと思う。他の仕事をやっていたら、どうなっていたか想像も出来ない」と話す。「経営者としての訓練を受けていないので、社長になったことには驚いている」が、「他の女性の励みになるはず」とも。「実家が事業をしていて、一家で働き、6歳から自分でも売っていた」経験があり、「女性が仕事をするのは当然」と考えてここまで来た。バリバリのキャリアウーマンではなく、自然体だ。好きな言葉は「しなやか」。強さと柔らかさを併せ持つ状態を指す。「スポーツ大好き」だが、このところ時間がなく、ごぶさたなのが残念そう。岩手県宮古市出身のみずがめ座。