当世紡績技術事情/今、“糸”が面白い~知られざる技術者達の苦闘~

2002年08月21日 (水曜日)

 卸業者や小売業者の間で、にわかに糸への関心が高まってきた。他社との差を強調するために、糸からこだわったモノ作りを志向する動きが、目立っている。ここでは、ほとんど知られることのなかった紡績技術者達の苦闘に焦点を当てる。彼らが紡ぎ出した物語には、紡績技術の世界の面白さがちりばめられいる。この物語は、糸からこだわったモノ作りに華を添える、もう一つの付加価値でもある。

毛羽極少化純綿糸/既存紡機の改造で商品化

昨年春、“コンパクト糸”などと呼ばれる毛羽の少ない純綿糸への人気が、先染織物市場を中心に高まった。これらの糸は、欧州やインドから輸入されたもので、スイスのリーター社や、ドイツのスッセン社が開発した新種のリング精紡機で作られたものだった。今年に入って日本の綿紡績会社は、これらの紡機を導入するのではなく、既存の紡機に手を加えることによって、輸入コンパクト糸に勝るとも劣らない品質の糸の相次いで商品化した。

 ダイワボウの原材部長、鳥居進一氏は、「単に毛羽が少ない糸を紡績すればいいのであれば、そう難しいことではない」という。既存の設備でも、コンパクト糸並みに毛羽が少ない糸を紡績することは十分に可能で、その方法は三つも四つもあるそうだ。難しいのは、紡績後の工程を経ても、毛羽が増えないようにすることだった。紡機から出てきた糸を、織布、編み立て工程で使いやすいように巻き直す工程で、毛羽は10倍近くに増えてしまう。これでは、紡績工程でいくら毛羽を少なくしても意味が無い。コンパクト糸は、この欠点をも克服した糸だった。

 鳥居氏は、糸を巻き直す工程の条件設定を変えるよう、現場の技術者に指示した。しかし、現場は、通常の条件で巻き取っても毛羽が増えないような紡績糸を作ることにこだわった。そして、ある付帯装置を考案する。昨年10月、京都府舞鶴市にある直営紡織工場(舞鶴工場)の試験用紡機にその装置を装着、試紡に入った。紡機から出た糸を通常の条件で巻き取り、糸質をチェックしてみた。毛羽数、ネップ数、微細欠点数、強力の全ての項目が、普通のリング糸はもちろん、コンパクト糸よりも優れていた。

 このような経緯を鳥居氏は、満足げに語る。新しい技術をものにできからだけではない。鳥居氏自身、悪戦苦闘の末に様々な技術を編み出してきた。レーヨン短繊維の束を炭化させ、それをリング精紡機で糸にしたこともある。炭化しているから、少し圧力をかけるとすぐボロボロになる。それを糸にするには、それまでにない方法が必要だった。そんな方法に挑もうとする雰囲気が、かつてはあった。「当時は余裕があったから」とも、鳥居氏はいう。しかし、違うやり方を試そうとする雰囲気が今の現場で薄れつつあることを懸念もしていた。だから、指示とは異なる方法を現場が編み出してくれたことが、嬉しかった。

 舞鶴工場には、商業生産用のリング精紡機が5万錘ある。ダイワボウは、とりあえず、そのうちの420錘(1台)を、この糸の商業生産に充てることにし、前述の装置を装着した。そして今年4月、東京で開いた来年春夏向け展示会で、「クリスタルドーレ」という商標を冠し、この糸を発表した。

<国産で誇れるモノを>

 「“コンパクト”とは名ばかりの商品が氾濫し始めた」。シキボウのシャツ衣料1課長、平田修氏は顧客からそんな声を何度も耳にした。コンパクト糸使いの生地が話題になったのは、素人にも違いが分かる感触を備えていたからだ。ところが、ブームに相乗りしようとする会社が増えるにつれ、経あるいは緯だけにコンパクト糸を使った、“コンパクト”をうたいたいがためだけの生地も出回り始めた。「メイド・イン・ジャパンとして誇れるモノを作ろう」。同社営業陣は、そんな思いを技術陣に伝えた。

今年2月、「LS―Y」と銘打った糸を同社は発表した。商品開発部長の酒井美明氏は発表の席で、「輸入コンパクト糸に対抗できる品質の糸」だと胸を張った。営業陣の思いに対して技術陣が出した答えが、この糸だった。静電気を制御することで、毛羽を極少化したという。富山県にある直営紡績工場に8万5000錘のリング精紡機を持つ。そのうち、200錘(1台)を「LSY―Y」生産用に改造した。

「LS―Y」糸については、紡績後の全ロットについて毛羽測定を実施する。「F―インデックステスター」で測定し、10メートルの糸長内にある1ミリの毛羽が300個以下、3ミリの毛羽が50個以下の糸だけを、「LS―Y」糸として使用する。また、糸質の優位性を生地段階でも確保するために、糸売りはしない方針も打ち出した。

<測れないモノへの挑戦>

「毛羽があるからこそ生地がきれいに見えている場合が多い。それが少ない糸を使うと、普通はあまりきれいには見えない。毛羽が少なくなると、糸の本質が見えてくるからだ。毛羽を少なくし、かつきれいに見せるには、相当に高いレベルの均整度が必要になる」。クラボウの技術部次長、藪雅次氏はそう指摘する。

この課題に取り組んだのは、クラボウの安城工場だ。それは、「数字だけでは測れないモノ」への挑戦でもあった。測定機で測ると均整度の高い糸に仕上がっているのに、生地に仕上げてみると満足のいく品格にならない。作り方を変えては生地にして確かめるという作業を繰り返す。特に編地にはてこずった。そして、「今までにない均整度の高い糸」の製造技術を確立する。特許も出願した。

今年4月、この技術で作った毛羽極少化糸を同社は「クリアスピン」商標で発表した。安城工場は、5台(2400錘)の紡機を同糸生産可能機に改造し商戦に備えた。

「単純に毛羽を少なくすると、糸ムラが目立つだけで、きれいにはならない」。東洋紡のテキスタイル商品開発センター部長、谷田光雄氏も、クラボウの藪氏と似たような問題意識を持っていた。

このため、糸を構成する繊維の配向度を高めるべく、混綿から精紡までの各工程で、考え得るありとあらゆることを試した。そして、その技術を確立し、「プリモファイン」と名付けて4月に発表した。

繊維束を繊維で束ねた糸/結束紡機の可能性を拓く

繊維束を繊維で束ねる格好で作った糸を結束紡糸という。日本の紡績会社のほとんどは、その商品化を試みながらも断念した。独特な表面感が日本の消費者には受け入れないと判断したからだ。

唯一の例外だったのが、第一紡である。「アーサ」をはじめとする数々の結束紡糸を商品化し、その市場を開拓してきた。それは、技術者達の苦闘の歴史でもある。

現在同社は、結束紡機を10数台保有している。もちろん日本最多だ。その中に、同社だけしか保有していないという毛羽伏せ機能付きの機種がある。98年に1台導入し、試作を重ねた。当初は、既存の結束紡糸と似たりよったりの糸しか出てこなかったと企画開発部長の桑原英司氏はいう。様々な原綿を試し、生地段階での加工を工夫しているうちに、毛羽の少ないきれいな生地が誕生した。それが「クリアーコット」だ。

誕生後も、しばらくは苦労が続いた。糸質が安定しなかったのである。幸いなことに同社は、同じ敷地内に、紡績、編み立て、縫製の全工程を備えている。糸ができたらそれを直ぐ編み立て工場に回すことによってなんとか、納期に間に合わせるという日々が続いた。

今となれば、それも懐かしい思い出だろう。今春夏商戦で、「クリアーコット」への需要は、一気に拡大した。需要の拡大を見越して昨年10月、同糸用紡機を1台増設して2台体制にした。その2台をフル稼働さねばならないほどに、需要は旺盛だった。

<時間との闘い>

 富士紡は2000年9月、米国オプティマ社から、「ドライ・リリース」糸の独占輸入権と日本における商標の独占使用権を得た。その翌年、オプティマ社は、アジア地域における生産を富士紡に委ねることを決める。

 オプティマ社が生産していた「ドライ・リリース」は、ポリエステル85%・綿15%の結束紡糸だった。吸水速乾性の高さなどが売り物だ。その生産を委ねられた富士紡は、資本関係のないタイの紡績工場でそれを生産し、今春向けから販売しようと決めた。

 結束紡機は、世界的に見ると広く使われている。ただし、特殊な糸を作るためにではない。むしろ、汎用糸を作るために用いられている場合が圧倒的に多い。富士紡が生産を委ねたタイの工場においても、同様だった。富士紡は、その機械で、もっと高品質な糸を作ってもらおうと考えていた。

 技術指導をすべく、タイの同工場を訪れた富士紡・紡織技術部技術課の安川雅偉氏は、任務達成の難しさを再認識した。予想通り、富士紡が要求する品質と、現地工場が思い描いていた品質には大きな差があった。しかも、その差を埋めるための持ち時間は少ししかない。同工場が試紡を開始したのは、昨年7月。来春向けに発売することが決まっていたから、遅くても10月には本生産に入らないといけない。

安川氏は、大きな重圧を背負いながらも、タイ語を駆使して指導にあたった。結束紡糸は、空気力を使って作る糸だ。だから、糸質を均一にするのは、そう簡単ではない。デッド・ラインが迫る中で安川氏は、「それまでの感覚で見ればとんでもないと思えるほどにシビアな品質管理体制」作りを急いだ。そして、間に合わせた。

富士紡の企画開発部担当部長、武藤正博氏は、「こんなにいいものができるのかと驚くほどのものが出てきた」という。それまで米国で生産されていたものよりもいい、「柔らかく、表面もきれいな」糸に仕上がっていた。

あまり知られていないが、香川県三豊郡にある富士紡の紡績工場にも、結束紡機が1台(24錘)ある。同社はこれを活用して、ポリエステル85%・羊毛15%混の「ドライ・リリース」も商品化しようとしている。

二層構造糸/進化の裏に苦闘あり

<早すぎた“発見”>

 芯部の繊維を、別種の繊維で覆うように紡いだ糸を、二層構造糸と呼ぶ。70年代後半に相次いで商品化された。話は、その少し前から始まる。

74年頃のこと。ダイワボウの現原材部長、鳥居進一氏は、ポリエステル長繊維を綿で覆った二層構造糸を手に、思案していた。覆ったつもりのポリエステルが、表面に顔をのぞかせてしまう。しかも、しごくと、表層の綿がほぐれて取れてしまう。技術者達はこの現象を“鞘抜け”と呼ぶ。ふとしたことから、その両方を解決する方法を見つけた。「発明というよりは発見」だったという。

現在でも、長繊維を短繊維で完全に覆うことは難しいとされている。鞘抜けしにくくすることについても同様だ。鳥居氏の“発見”は、画期的なものだった。ところが、当時の糸欠点発見装置の感度は、今ほどには高くない。同社は、量産工程に乗せた時の懸念を捨てることができなかった。早すぎた“発見”だったのかもしれない。

結果、ダイワボウの二層構造糸の歴史は、短繊維を短繊維で覆った種で始まった。第一弾が78年発売の「セルピー」。第二弾が83年発売の「シルシン」だ。両者とも芯部はポリエステル短繊維だが、前者はそれを綿で、後者はレーヨン短繊維で覆ってある。

<欠点ではない“それ”>

一方、シキボウの二層構造糸の歴史は、長繊維を芯とした種と、短繊維を芯とした種の両方で始まった。70年代後半に発売された、「メリンコール」と「ツーエース」がそれ。前者の芯部はポリエステル長繊維、後者のそれは同短繊維だ。芯部を覆っている繊維(鞘部)は、いずれも綿である。

話は一気に、80年代後半に進む。この頃シキボウは、まだ市場にあまり知られていなかったトリアセテート長繊維を芯にした二層構造糸、「チコリーノ」を商品化した。鞘部には、エジプト産超長綿を採用した。婦人服卸大手3社からの、「高級ゾーンの商品にふさわしい素材を開発して欲しい」との要請を受けて開発した自信作だった。ただし、それが完成形だったわけではない。

発売から数年を経た90年のこと。当時、営業を担当していた現業務部課長の新口精三氏は、「チコリーノ」生地を納めた東京の縫製業者から呼び出しを受けた。「生地に欠点がある」という。上司と一緒に訪ねると、確かに“それ”はあった。しかし当時の感覚で言えばそれは、「欠点」という性格のものではなかった。「そんなものですよ」と言えば、それでも通りそうな類のものだった。しかし、そうは言わなかった。

同社は当時、「チコリーノ」を高知工場(現在のシキボウ高知)で作っていた。新口氏は、同期の技術者に頼み、“それ”を直すために高知工場へ飛んでもらう。「そうなるのが普通でしょう」。現場担当者は戸惑った。しかし、「それでは、満足できないお客さんがいる」と知らされる。改善策を探すために、過去のデーターをひっくり返した。それからしばらくして、「チコリーノ」から“それ”が消えた。

<毎日、編んでは染めて>

たぶんその頃だろう。東洋紡の現テキスタイル商品開発センター部長、谷田光雄氏は、試紡機で長短二層構造糸を作っては、チューブ状に編んで染めるという作業を繰り返していた。芯部の長繊維が綿で完全に覆われているのかを確かめるためにだ。染まっていない部分があれば、長繊維が表面に露出しているということになる。実は、この頃になってもまだ、長繊維が短繊維でほぼ完全に覆われており、しかも鞘抜けの心配が少ない二層構造糸は、発表されていなかったという。

条件を変えて紡績し、編んで、染めて確認するという作業を、毎日数十回繰り返した。そのうち、覆う側の短繊維を最初から染めておけばいいことに気づいた。そうしておけば、紡出段階で露出しているかどうかが分かる。

そのような工夫を重ねながら、技術を確立した。しかし即商品化ということにはならかった。「被覆性が高いということだけでは、お客さんは価値を感じてくれないのではないか」。そんな懸念があったからだ。そこで、芯部に採用する長繊維を太い種に替えてみた。すると、ハリ、コシに加え、“弾撥性”のある糸に仕上がった。この糸に同社は、「セレファイン」商標を冠し、95年に発表した。

<未完成なのに商売が成立>

「セレファイン」の開発と同時進行で東洋紡は、ポリエステル長繊維をポリノジック短繊維で覆い、さらにそれをポリエステル長繊維で覆った三層構造糸の開発を進めていた。そして、試紡に成功した。谷田氏は、「これまでに手がけた糸の中でこれが一番難しかった」という。技術陣は一息ついた。ところが、それはつかの間のことだった。

成功したのはあくまでも、試紡機段階での話。量産ノウハウの確立はこれからだった。にもかかわらず、営業員が商売を成立させてきたという。技術陣は慌てた。本来であれば、量産に入る前に量産機各錘の条件調整を重ねる必要がある。また、これまでにない糸だっただけに、操業員に慣れてもらうことも重要だった。しかし、納期が迫っている。井波工場で直ぐに、量産に入った。危惧した通り、糸切れが頻発した。当初の歩留まりは50%ぐらいだった。「開発センターの全員がつききりになってもいいから、作ってもらわないと困る」。本社からそんな指令が飛んでくる。谷田氏を含む3人の技術者が井波工場へ飛び、2日間つききりで指導した。この三層構造糸、「フィラシス」は今、同社のスポーツ衣料向け主要素材になっている。

“天然”ならではの試練/綿と羊毛の不仲の克服

 「天然」という言葉には、「人力では如何ともすることのできぬ状態」という意味がある。天然繊維を原料に工業を営むということは、大方の想像以上に難しい。

 シキボウの原料担当者は毎年、米国の綿産地を訪れる。そして、検品室に入り、収穫された綿花の品質をロット毎に手で調べる。そして、前年度に買ったのと同じ品質の綿花だけを買い付ける。誰もが簡単に検品室に入れるわけではない。「一朝一夕には作れない関係」が、それを可能にしているという。

 そこまでしないと、同じ品質の原料を入手し続けることは難しい。だから、簡単なように思える純綿糸の品質維持にも、門外漢には想像もつかないような苦労が潜んでいる。植物性繊維である綿と、動物性繊維である羊毛を組み合わせる試みになると、なおさらだ。

「ソロスパン」という梳毛紡技術がある。既存精紡機に簡単な装置をつけ、繊維束を絡ませながら糸にする方法だ。普通に紡績した糸よりも、繊維同士の絡みが多いので強い。だから、そのまま糊付けしないで経糸として使っても、切れない。ウールマーク・カンパニーと、豪州科学産業研究機構(CSIRO)、ニュージーランド羊毛研究所(WRONZ)が共同開発した。

日本毛織は98年に、「ソロスパン」に必要な装置を導入、翌年から純毛糸の商業生産に入った。早業だったといっていい。綿混糸も直ぐに商品化するつもりだった。

ところが、普通の綿混糸を作る時には発生しない障害が待ち構えていた。同社の技術開発部主席、橋本雅晶氏は、「ソロスパン」用のローラーを通る時に、「綿が固まって挙動したがった」という。羊毛と綿の繊維長の差が、そのような現象を発生させた。羊毛と綿の不仲を解く作業が始まった。

日本毛織は今年、羊毛・綿混の「ソロスパン」糸を「ミューレS」と名付けて発表した。難産だった。純毛の「ソロスパン」糸を発表してから3年を経ていた。「ウールと綿、それぞれの良さを併せ持ち、柔らかく、軽く、暖かく、吸湿放湿性にも優れた糸」。同社は、ようやく完成させた同糸をそう自負する。

同興紡は最近、綿・羊毛混のスラブ糸を商品化した。同社が純綿スラブ糸の供給を得意にしていることは有名だが、意外になことに、羊毛混のそれを商品化したのは初めてだという。同社に限らず、「どこも作っていなかった」そうだ。同社取締役営業部長の箱谷哲治氏は、高価になり過ぎるために売りにくいことに加え、技術的にも難しかったからだという。20番手のスラブ糸を例にとっていえば、細い所は30番手になる。綿・羊毛混だと糸切れが発生しかねない。しかし、同社と取組み関係にある生地商からの要請で、挑戦した。

もう一つ意外な話がある。「海島綿綿」に絹、カシミヤ、リネンのそれぞれを組み合わせた糸はこれまで、撚糸以外にはなかったそうだ。同興紡は今年、それを混紡糸として完成させることに成功した。「海島綿綿」製品の供給業者で構成する西印度諸島海島綿協会主催の企画コンペに出品したところ、優勝したという。箱谷氏は、「ノウハウをグレード・アップすることができた。この技術を、『海島綿』以外の綿との混紡にも活用したい」と意気込む。

繊維束を“糸”で巻いた糸/風変わりな糸への挑戦

無撚の繊維束に、繊維ではなく紡績糸を巻きつけて作った糸がある。綿紡業界では、第一紡の荒尾工場(熊本県荒尾市)に6台、クラボウの安城工場(愛知県安城市)に4台、東洋紡の井波工場(富山県東砺波郡)に8台、このような糸を作ることが可能な紡機がある。

第一紡はこの紡機を使ってまず、それぞれ異なる色に染まっている3本の粗糸に紡績糸を巻きつけた糸、「トリカラー」を商品化した。こんな贅沢な作りの糸は、今でもあまりないだろう。当時、同社はこれを1キロ当たり2500~3000円で売っていた。が、予想通りというべきか、それほど大量には売れなかった。

そこで、その紡機を使い、一本の生成りの粗糸を生成りの紡績糸で巻いた糸を作り始めた。それが、「アン・トウイッシュ」である。こちらの方は、折からのルーズ・ソック・ブームもあって、相当量売れた。

この紡機は元々、毛紡用に開発されたものだ。だから、毛紡業界には、綿紡業界よりもたくさん、同機が据えられているという。

トーア紡も4、5年前に同機を1台導入した。当初は、トーア紡の開発部門に据えてテストしてからと思っていたが、「本番を踏まえ」(執行役員技術本部副本部長の工藤正弘氏)、最初から紡績子会社の宮崎トーアに据えた。この紡機を使って現在、ループ糸やそれを起毛したタム糸を供給している。