ごえんぼう

2024年09月30日 (月曜日)

 1956年8月、鳩山一郎首相は日ソ国交回復を機に退陣する旨を表明した。自民党の後継総裁候補として岸信介幹事長、石井光次郎総務会長、石橋湛山通産相の3人が名乗りを上げた▼大派閥を擁していた岸、石井に対し、石橋は選挙参謀の活躍で次々と派閥の不満分子を味方に引き入れる。12月14日の選挙では決戦投票となり、わずか7票差の僅差で総裁に選ばれた▼しかし、老齢を押した無理な遊説がたたり病に倒れ、首相就任後わずか2カ月で退陣する。「何事も運命だよ」。自らが言論人だった時、「舌鋒鋭く首相の辞任のあり方を論じていた」(『石橋湛山の65日』保阪正康著)だけに、その潔さから国民は退陣を惜しんだ▼石橋の総裁選は、現金と要職を約束する空手形が飛び交う悪習のきっかけになったともいわれる。今回の総裁選でその悪習は断ち切られただろうか。そして次の首相は日本の運命を良い方向へ導けるだろうか。