特集 2024年夏季総合Ⅱ(4)/連携で活躍領域広げる/心・血管修復パッチ「シンフォリウム」を共同開発/先天性心疾患患者の課題解決へ
2024年07月26日 (金曜日)
出席者
大阪医科薬科大学 心臓外科医 根本 慎太郎 氏
福井経編興業 社長 髙木 義秀 氏
帝人 インプランタブルメディカルデバイス開発部 部長 藤永 賢太郎 氏
心・血管修復パッチ「シンフォリウム」の販売が今年6月に始まった。生体内吸収性糸などで構成される編み物に、架橋ゼラチン膜を一体化した合成心血管パッチで、先天性心疾患の外科手術における血流の修正などに使用される。先天性心疾患患者の課題解決につながる製品として掛けられた期待は大きい。共同開発を行った大阪医科薬科大学の根本慎太郎医師、福井経編興業(福井市)の髙木義秀社長、帝人の藤永賢太郎氏が開発背景などを語った。
――それぞれの立場や企業紹介をお願いします。
根本氏(以下、敬称略) 新潟大学医学部を卒業後、心臓外科医として国内外で経験を重ねてきました。現在は、大阪医科薬科大学で、先天性心疾患手術での新しい術式の開発、先天性疾患に伴う肺高血圧症に対する治療(臨床研究、基礎研究)に携わり、医療材料の開発にも取り組んでいます。
髙木氏(同) 福井経編興業は今年で設立80年を数える経編み生地製造会社です。ファッション(衣料品)分野を主力としてきましたが、100年企業を目指すために新市場の開拓や新用途の開発に力を入れました。その一環としてメディカル分野に参入し、小口径人工血管の製造技術の開発などに成功しています。
藤永氏(同) 研究畑を歩き、医薬品の開発に携わってきました。大阪医科薬科大学と福井経編興業、帝人の取り組みに私自身が関わるのは約5年前からです。現在は、コーポレート新事業本部の再生医療・埋込医療機器部門インプランタブルメディカルデバイス開発部で部長を務めています。
――三者で共同開発した心・血管修復パッチ「シンフォリウム」を改めて説明してください。
根本 一言で表すと「医療用の布」で、一般的名称は合成心血管パッチです。生まれつき心臓や血管の構造が正常とは異なることで血液の循環に支障が出る先天性心疾患があります。その外科手術における血流の修正、血液流路の確保および周辺組織の構築・再建などに用います。
これまでは合成樹脂や動物由来の素材で作られたパッチを使用していました。ただ、埋植したパッチは免疫による異物反応を受けて劣化し、心臓や血管の成長に対してパッチが伸長せず狭窄(きょうさく)が発生するという課題がありました。パッチ交換のための再手術が必要になる場合もあり、患者や家族には大きな負担でした。
〈アイデアを具現化する技術〉
――それらを解決するためにも製品の開発が必要だったのですね。
根本 「自分の組織に置き換わることで患者の成長に対応し、再手術の低減が期待できるパッチ」というアイデアが生まれ、2012年ごろに実現に向けた研究と探索を開始しました。織物製と編み物製ともに候補だったのですが、より柔軟性のある編み物が良いと考えました。アイデアを具現化する技術を持っていたのが福井経編興業でした。
髙木 根本先生から「すごく困っていることがある」といった内容の電話をもらいました。医療の現場で使用する人工血管やパッチの現状と課題、根本先生の思いを聞き、自分たちの技術であれば開発は可能と考えました。メディカル分野への本格参入を志向していたことにも背中を押された形です。
藤永 14年から帝人が取り組みに正式参加します。その前から新規事業の開拓に取り組んでおり、自分たちが持っているマテリアル技術でヘルスケア領域に貢献できないかと模索していました。そのような中で根本先生と髙木社長(当時専務)から話をもらいました。先天性心疾患の患者の存在や課題を知り、帝人として挑戦を決めました。
――重い決断だったのではないですか。
藤永 技術的なハードルも高く、帝人にとってもリスクは大きかったと思います。その分、新しい領域でもありました。根本先生のコンセプトと福井経編興業の技術力を確認し、帝人が参画することで残った課題が解決できると判断しました。補助事業に採択されたことも大きかったと思います。
根本 髙木社長とは「論文を書くための取り組みではなく、実用化のための取り組みである」と決めていましたが、その実現は2者だけでは無理なことは分かっていました。医療機器を製造・販売できる企業の協力は不可欠で、そのような意味でも帝人の参画は大きな意味がありました。製品開発に向けて小さな成功が重なっていきます。
髙木 裏話ではないのですが、当時帝人の社長だった大八木成男氏に会いに行き、根本先生と当社の取り組みについて直接説明しました。大八木氏は「面白い」と興味を示してくれ、現在は帝人のシニア・アドバイザーを務める鈴木純氏が具体的な話を聞いてくれることになったのです。
根本 鈴木氏は非常に熱心で、実際に手術の様子を目にしてくれました。酒を酌み交わす機会も含めて話し合いを重ね、多くのことを理解してもらったと感謝しています。
〈不退転の決意示す〉
――製品開発ではどのような苦労があったのですか。
髙木 糸の探索が最初に直面した壁でした。シルクをはじめとする既存の縫合糸など幾つかの候補があったのですが、ドイツに良い糸があると分かり取り寄せました。ポリ―L―乳酸の生体内吸収糸と非吸収性のPET糸です。この糸を使って細胞の足場になり、かつ伸長可能な構造を持つ特殊編み地の開発に成功しました。
品質管理の面でも苦労しました。17年には、医療機器の品質管理システム構築のための国際標準規格「ISO13485:2016」を取得します。織・編み製造会社の取得はほとんど例がなかったと思います。また、専用のクリーンルームも設置しました。クリーンルーム設置の費用は高額で、福井経編興業として不退転の決意を示した格好です。
藤永 福井経編興業の技術によって特殊編み地ができたのですが、その編み地から血液が漏れないようにするのが帝人の課題でした。血液漏れを防ぐと同時に、自己の組織に置き換わるという機能も考えないといけません。さまざまなポリマーをスクリーンニングし、生体適合性の高いゼラチンにたどり着きました。
使いやすさについても重視しました。子供の心臓は小さく、医師がスコープを見ながら手術を行うケースもあると聞いていました。こうしたことから実際に手術を行う医師が使用しやすいように厚みや柔らかさなどに工夫を加えました。根本先生、福井経編興業、帝人というチームで進んでいきました。
根本 私は開発者ですが、同時にユーザーでもありますので、機能や品質、安全面に対する要求項目が分かっていました。規制当局に承認をもらうにはどのようなデータが必要になるかも頭の中にありました。一つ一つ課題を見つけて克服するのではなく、最初から必要な条件や課題を全てそろえ、検討・研究・開発に取り組んだのが良かったと思います。
――19年に臨床試験が始まりました。
根本 第1例の時のことです。開発者の私は治験に関われないので別の大学に依頼し、医局のモニターで様子を見ていました。動物実験を行い、問題がないことは分かっていたのですが、本当に祈る思いでした。その後も治験を重ねましたが、問題は起こらず、自信が深まりました。ただ、あの時の緊張感は今も忘れられません。
藤永 根本先生が話されたように動物実験によって製品の安全性は確認していましたが、臨床試験で実際に人に使用された時は「すごく緊張した」と前任者に聞きました。「自分たちが作った製品は本当に大丈夫なのかと心配だった」と。
〈スピリットの継続が重要〉
――22年に臨床試験が完了し、製造販売承認を経て、今年6月に販売が始まりました。
根本 販売の開始によって広く使用できるようになりました。正直な言い方をすると、経験を積んだ医師もいれば、経験の浅い医師もいます。医師の技術に関係なく成果が収められる製品であってほしいという期待があり、不安もあります。臨床1例目の時とは違った緊張感とも言えます。
髙木 反響が大きく、いろいろな人から連絡が入りました。臨床試験の結果も良好でしたが、ずっとプレッシャーを感じていました。再手術の低減が期待でき、先天性心疾患の子供たちとその家族に対して少しでも役に立つことができればうれしいです。
藤永 帝人が正式に参加してから約10年が経過しました。10年という年月をかけても成功するとは限らないメディカルの世界で実際に製品を販売できたことに対し、根本先生、髙木社長をはじめとする福井経編興業、アカデミア、行政など多くの人や機関に感謝しています。
今後は帝人のグループ会社で、製品を販売する帝人メディカルテクノロジーによる安定供給が使命です。そのためにも技術のブラッシュアップは必要であると考えています。
――今後の取り組みについては。
根本 ようやく「布」ができたという段階で、これからが始まりです。弁付きの人工血管などの開発に目を向けていますので、要求される項目も増えてきます。ライバル製品、海外企業との競争もあるなど、大変なステージに向かうことになります。3者の取り組みがこれから試されることになります。海外にも目を向けています。
髙木 これからも絶対にミスのない製品を供給することを第一に考えています。
その上でチームの取り組みは広げていきたいと思っています。次のステージには時間もかかり、大変だと思いますが挑戦したいです。
藤永 シンフォリウムの開発で得られた技術があります。この技術を磨きつつ、次の医療ニーズを見つけて、その解決に貢献できるような製品を作りたいと思います。先天性心疾患で苦しんでいる人は日本だけでなく世界中にいますので、海外販売にも取り組んで行きます。
根本 日本では、おおよそ100人に1人が先天性心疾患を持って生まれるとされ、年間約9千件の手術が実施されているといわれています。小児期治療の向上もあって多くの患者が成人を迎えることができるようになり、成人先天性心疾患の患者は50万人に達しています。
そうした状況において再手術の低減が期待できる製品の開発は社会的意義が大きかったと自負しています。こうした取り組みは次の世代にもつなげていかなければなりません。技術だけであればある程度は引き継ぐことができます。技術に加え、スピリットを引き継ぐことこそが大事なのだと感じています。