ひと/ユニチカトレーディングの社長に付いた芦田 直彦 氏/足元から一歩ずつ

2024年07月18日 (木曜日)

 6月27日付でユニチカトレーディング(UTC)の社長に就いた。入社以来、ほぼ一貫してユニチカの繊維事業でキャリアを積んできた経験を生かし、同事業の改革に取り組む。

 1988年にユニチカ入社以来、ハンカチ地、寝装テキスタイル、ユニフォーム地の営業を担当してきた。ユニチカの紡績テキスタイル事業を知り尽くす一人である。「当時は工場にハンカチ向け専用の紡績ラインがあったり、寝装テキスタイル向けでは紡績各社が細番手糸の開発競争を繰り広げたりと、国内で技術を競い合った時代だった」と振り返る。

 だが、2000年代に入ると国内の繊維産業は急速に競争力を失い、紡績各社も海外での生産が拡大する。芦田さんも海外での仕事が増えていくのだが、特に印象に残っているのがユニテックス社長として13年から17年までインドネシアに赴任したことだ。当時、先染め織物の紡織加工一貫工場だった同社は12期連続の赤字決算となるなど、どん底状態。

 「従業員800人以上で、日本人は7人だけ。西ジャワ州ボゴールに立地しているので工場の周りに何もない」。社宅も工場に隣接しており、それこそ工場に住み込みで働く形となる。「とにかく業績立て直しのために原料の変更から生産工程の見直し、省人化によるコストダウンなど、やれることは何でもやった」。そして社長就任1年目で見事に黒字化に成功した。「大変だったけれども、今となってはあの時に一緒に仕事をした仲間たちのことも含めてインドネシアには良い思い出しかない」と話す。

 趣味は学生時代の友人に誘われて3年ほど前から始めた登山。「登っている時は本当にしんどいけれど、おかげで仕事のことなど一切考えずに頭をリセットできるのが魅力。あと、下山後に飲むビールが最高」と笑う。もちろん山から学ぶことも多い。「遠くの頂上を見ていると、本当に到達できるのか不安でいっぱいになるけれども、足元から一歩ずつ進んでいけば、いずれ山頂に着く。これは仕事も同じだろう」

 ユニチカの繊維事業の中核会社であるUTCの社長として繊維事業の収益改善が課せられたミッションだが、山登りと同じように足元から一歩ずつ改革を実行し、早期の黒字浮上を目指す。(宇)

 あしだ・なおひこ 1988年神戸商大(現・兵庫県立大)・商経卒、ユニチカ入社。ユニチカトレーディング衣料繊維事業本部ユニフォーム営業部副部長、業務室長、ユニテックス社長、経営企画本部経営企画部長代理などを経て2020年取締役管理本部長、23年常務事業企画本部長、24年4月からユニチカ執行役員兼務、同年6月からUTC社長。大阪府出身。58歳。