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追悼/元 大正紡績取締役 近藤 健一 氏/“先義後利”の精神貫く

2024年06月19日 (水曜日)

 クラボウ出身で大正紡績(大阪府阪南市)の営業部長として活躍した元取締役の近藤健一氏が5月11日に亡くなった(享年83)。“人や環境に優しい”繊維のパイオニア的存在であり、“顔の見えるモノ作り”で産地企業の在り方を変えた一人だった。

 近藤さんの功績は幾つもあるが、やはり特筆すべきは従来の繊維産業の商流を大きく変えてしまったことだろう。それまで中小紡績や産地の川中企業は大手繊維企業や商社、アパレルの下請けに甘んじていた。モノ作りの主導権もなく、利益配分も不十分だった。そんな状況に一石を投じたのが近藤さんだ。オーガニックコットンに代表される高付加価値な特殊単一混綿の糸と、圧倒的なストーリー企画力でアパレルへの直接提案の道を切り開いた。

 「世界を股に掛けるさすらいの紡績エンジニア」を自称し、自身が仕掛けてきた仕事について冗舌に語ることをためらわなかった姿勢は、ときには自画自賛の印象すら与えたが、それこそ中小企業や産地企業が生き残るための戦略だった。そのことを知っている人は近藤さんの熱意と、徒手空拳でモノ作りの主導権を産地企業に取り戻そうとする姿勢に感動し、共感した。

 なにより近藤さん自身が、モノ作りを支えている基盤が産地にあることを強く自覚していた。だから近藤さんが最も大切にした言葉は“先義後利(利益よりも道義・義理を優先すれば後から利益が勝手についてくる)”だった。

 その精神が発揮された一例が2009年の「JFWジャパン・クリエーション」出展だろう。「夢工房」と銘打った大正紡績ブースには同社の糸を使ってモノ作りする産地企業が一堂に会し、女優の山口智子さんも参加して川中製造業の可能性をアピールした。自社のブースを、取引先企業の提案の場に変えてしまったのだ。

 11年の東日本大震災の津波による塩害で米作不能となった東北地方の農地を綿花栽培で除塩するアイデアをタビオの故・越智直正会長が出したとき、真っ先に協力し、紡績、商社、アパレル、小売りを巻き込んで「東北コットンプロジェクト」を立ち上げる中心にも立った。

 人づくりもまた近藤さんの仕事だった。大正紡績に産地企業の後継者を受け入れ、自らの技術とノウハウを惜しみなく伝授していたことを思い出す。そんな“近藤道場”の門下生は、例えば篠原テキスタイル(広島県福山市)の篠原由起社長らが産地のニューリーダーとなっている。12年にはエイガールズの山下雅生会長や元大阪繊維リソースセンター社長の松田正夫氏らと繊維産業の活性化と次世代リーダー育成を目的とした「繊維・未来塾」結成を呼び掛けた。繊維・未来塾は現在も続いている。

 近藤さんは最後まで先義後利の精神を貫いた人だった。そして近藤さんがまいた種は確実に育っている。それをどう実らせていくか。遺されたわれわれも先義後利の精神が問われている。合掌。(宇)