今さら 聞けない 中国アパレル市場の常識(2)
2024年02月26日 (月曜日)
「国潮」背景に地場ブランド復活
2000年代後半から海外ブランドの攻勢と商品の同質化を背景に、守勢に立たされた地場ブランドだったが、雌伏の時を経て復活する。高度経済成長で消費がアップグレードする中で、デザインや商品の高度化に取り組んだブランドが成果を上げた。
メンズ大手「利郎」(リーラン)は10年以降、それまでのプロモーションに偏ったビジネスモデルを改め、製品の自社企画・開発を強化した。14年からはほとんどのアイテムの工場からの製品仕入れを止め、デザインチームを拡充し、自社開発に注力した。これが当たり、17年から好業績を続ける。
ダウンウエアの「波司登」(ボストン)は、15年からリブランディングを開始した。伊藤忠商事グループの支援を受けながら、ブランドの若返りと高級化に取り組んだ。その結果、それまで見向きもされなかった1、2級都市の若者にも受け入れられる人気ブランドに生まれ変わった。
地場ブランドへの追い風も吹いた。ナショナルブランド熱のトレンド「国潮」(グオチャオ)だ。
国潮は、品質とデザイン性を高めたローカルブランドに対する消費者の評価が高まったことや、米中対立などで消費者心理が“内向き”になったこと、自国への肯定感が高まったことなどを背景に、19年ごろに生まれた現象だ。
国潮ブランドの筆頭が「李寧」(リーニン)。1984年のロサンゼルス五輪で活躍した体操選手の李寧氏が立ち上げたスポーツブランドで、国潮トレンドの中、ストリートファッション寄りのラインを打ち出し、若者に受け入れられた。
リーニンが19年2月に、米ニューヨーク・ファッションウイークでのショーで発表した「中国李寧」のロゴをあしらった作品は、国潮を象徴するものとして今でも語り草だ。
国潮トレンドは広がりを見せ、新興ブランドやデザイナーズブランドの台頭にもつながった。中国の消費者はそれまで、自国製品に厳しく、特に知名度のないブランドへの警戒感は強かったが、国潮トレンドを経て地場の新興ブランドを当たり前のように受け入れるようになった。
例えば、レディースインナーでは「内外」(ネイワイ)や「Ubras」(ユーブラス)など、海外著名ブランドと比べてもそん色のない、デザインと機能性を追求したニューフェースが登場し、急成長している。
20年に新型コロナウイルス禍が始まると、海外留学中デザイナーが一斉に帰国し、地場デザイナーズブランドのブームが生まれた。