春季総合特集Ⅲ(2)/トップインタビュー/東レインターナショナル/対応力と強靭さ、スピード/社長 沓澤 徹 氏/商社の原点に戻り事業を拡大

2022年04月25日 (月曜日)

 東レインターナショナルは、2022年度(23年3月期)に中期経営課題の最終年度を迎えた。新型コロナウイルス禍もあって当初計画と比べると進ちょくに遅れもあるが、沓澤徹社長は「掲げた旗を降ろすことはない」と前向きだ。今年度は次期中経策定の一年でもある。「商社の原点に立ち返り、事業規模の拡大を図る」と語る。

  ――ウイズコロナ時代に成長するために求められる要件は。

 新型コロナ感染症やロシアのウクライナ侵攻を含め、変化する時代に突入しています。その前提に立った上で、変化への対応力や強靭(きょうじん)さを持つことが大切なのだと思います。同時にスピードも求められます。取り組んでいる方針が間違っていると分かればすぐに方向転換ができるスピードと柔軟性が不可欠です。

 日本の企業は、以前はスピード感を欠いているという指摘もありましたが、ここ数年で変貌を遂げました。それができなかった企業は退場したと言い換えられるかもしれません。東レグループは早くからサステイナビリティーに目を向けるなど、世界に先駆けてさまざまなことに取り組んできました。当社もスピード重視で経営を進めています。

  ――中経2年目の21年度を振り返ると。

 前半は好調で計画を上回りました。下半期はさらに良くなると予想していましたので、その分だけ若干のビハインドになっています。とはいえ、年間ではほぼ計画通りの数字で着地できる見通しです。フィルムや樹脂・ケミカルなどが順調に推移し、けん引役になりました。その一方で繊維は勢いを欠きました。

 繊維について言うと、自動車関連向けは前半に良好な数字を残すことができました。スポーツ・アウトドア向けの機能性製品が日本と海外向けともに好調ですが、ベトナムで生産しているので新型コロナ禍によるロックダウン(都市封鎖)の影響はありました。量販店・SPA向けは苦戦を強いられました。

  ――中経最終年度に入りました。事業環境は。

 欧米諸国を中心にウイズコロナの流れが強まるなど、新型コロナ感染症との“付き合い方”が少しずつ分かるようになっています。感染の拡大と抑制を繰り返しながらも経済に与える影響は徐々に小さくなり、市場は再成長すると予想していました。それがロシアのウクライナ侵攻で先が読めなくなりました。

 そうした状況の中で大きなインパクトは価格の上昇と言えます。元々上昇基調にあったエネルギー価格はウクライナ問題で加速しました。当社が取り扱っている綿花の価格も上昇しています。特に厳しいのは物流関係のコストアップなのですが、長期化するかもしれません。サプライチェーンや地産地消の課題が出てくる可能性があります。

  ――中経を仕上げるための施策は。

 元々中経で掲げている一貫型事業の強化と拡大をはじめとする三つの基本方針はぶれることなく着実に進めますが、スピードを上げていきたいと思っています。一貫型事業強化・拡大のための施策としてベトナムの中部に自家縫製拠点を設け、今年度中に稼働を開始する予定です。付加価値の高いスポーツ用ウエアを生産します。日本向けから始め、将来は海外市場向けも検討します。

  ――来年度には次の中経が始まります。どのような姿を描きますか。

 商社の原点に立ち返りたいと考えています。どうしても利益重視型になってしまいがちなのですが、商社は規模感も非常に重要です。しっかりと事業規模の拡大を図っていきます。現中経も当初の予定からは1年ほど遅れていますが、22年度に東レインターナショナルグループとして売上高1兆円という目標は下ろしていません。

 事業拡大はサプライチェーンの高度化や海外での拡販を原動力とします。海外市場では中国の成長に期待しています。東麗国際貿易〈中国〉(TICH)を中心に内販は順調に伸びています。これを一層強化すると同時に、中国から欧米市場への販売も増やしていきます。インドにも目を向けており、繊維関連でしっかりとした柱を構築します。

〈略歴〉

 くつざわ・とおる 1982年東レ入社、2011年東レマイクロファイバー事業部門長、16年東レインターナショナル取締役、19年6月東レ常任理事、同年7月トーレ・インダストリーズ〈香港〉社長などを経て、20年6月に東レインターナショナル社長。

〈春を感じる時/ホワイトアスパラガス〉

 ドイツ駐在の経験を持つ沓澤さんは「ホワイトアスパラガスに春を感じる」と話す。日本のタケノコの旬が春なのと同じように、ドイツでは春になるとホワイトアスパラガスが出回る。レストランでは付け合わせとしてではなく、メインディッシュとして運ばれてくる。日本でも見る機会が増えたが、「長くて太く、味も濃かった」と記憶している。行きつけの市場があり、「シーズンになると買ってよく食べた」と懐かしそうに語った。