新型コロナ危機 時系列ドキュメント/ファッション業界の対応に遅れも――

2020年04月22日 (水曜日)

 香港の英字新聞「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」は、世界で感染拡大が続く新型コロナウイルスについて、昨年11月に最初の症例が中国・湖北省で確認されていたと伝えた。それから5カ月、ファッションビジネスの甚大な損害を誰が予想しただろうか。時系列で振り返ると、対応の遅れや迷い、そしてメディアには楽観的な論調もあった。ここでは関係者の証言をまとめる。(市川重人)

 1月上旬、ロンドンメンズファッション・ウィークが開幕し、ミラノ、パリのメンズファッション・ウィークも実施された。入場制限もなく、アフターパーティーも自由に取材ができたという。英国の高級紙やイタリアのビジネス誌も新型コロナは「アジアの出来事」として報道していた。

 1月中旬、徐々に状況が変わる。中国の商業施設と小売店が次々と臨時休業し、ユニクロや無印良品も休業を余儀なくされる。感染力の強さが明らかになると、中国人デザイナーのパリコレ、ミラノコレへの参加中止、渡航を制限する動きが本格化。上海ファッション・ウィークは延期で調整に入る。

 1月下旬、徐々に日本国内のファッションイベントが中止の方向に。欧州デザイナーの来日中止、展示会の延期・自粛が増える。パリから帰国した三原康裕デザイナーは「中国人バイヤーはほぼゼロ。現地の人は普段通りの生活をしていたが、ムードは暗くなっていた」と話す。

 2月上旬、中国当局が春節休暇を延長。素材見本市「インターテキスタイル上海」の延期をはじめ、大型展示会は軒並み中止にかじを切る。ユニクロは中国で約750店舗中、ピーク時で398店舗を臨時休業。一方、欧州ではイタリアファッション協会とフランスオートクチュール・プレタポルテ連合協会が直近のファッション・ウィークの開催を決定した。

 2月中旬、ミラノウイメンズファッション・ウィーク開幕。しかし、イタリアの状況が急激に悪化、2月23日に北部・ロンバルディア州で感染爆発が明らかになり、翌日のショーを予定していた中島篤デザイナーにイタリアのセルジョ・マッタレッラ大統領から「中止勧告」の書面が届く。

 同23日を境にイタリアの様相が一変し、政府は複数の都市を封鎖。人が集まるイベントや展示会が中止になり、世界遺産への入場規制も行われた。中島氏と共にミラノへ入っていたPR企業の林洋介代表は「1日で全てが変わった」と述懐する。アジアのファッション・ウィークが続々と中止を表明。北京、ソウル、台北のファッション・ウィークは代替案を模索するがかなわず。

 2月下旬、パリウイメンズファッション・ウイーク開幕。来場するジャーナリスト、バイヤーの数は激減。ショーを実施した森永邦彦デザイナーは「アジア市場に向けたビジネスが心配」とし、パリのショールームに出展した武笠綾子デザイナーは「日に日にフランスの状況が悪くなり、不安だった。日本のことも心配になった」と話す。

 3月上旬、楽天ファッション・ウィーク東京の中止が決定。主催するJFW推進機構の後藤信昭事務局長は「ギリギリまで開催に動いたが」と無念の表情を見せた。米国、欧州、日本のデザイナーたちが自前でマスクの製作を始める。現在では「シャネル」「ルイ・ヴィトン」「プラダ」なども医療用マスクを製作している。

 今では考えられないが、2月中旬からミラノ、パリコレという流れでショーが実施された。フランスのメディアでは健康不安や感染を恐れる論調もあったが、目先の経済活動を優先した。日本から現地に向かうバイヤーは大幅に減少し、パリでショーを観たある日本人バイヤーは「(感染源に近い)アジア人ということで不当な扱いを受けた。少しでもファッション業界に貢献しようとしたが、結果的に悲しい思いをした」と肩を落とした。