明日へ これが我が社の生きる道 染色加工編(52)/朝日染色/強み生かして欧州市場へ
2020年01月31日 (金曜日)
創業以来100年以上にわたってハンドプリント(手捺染)にこだわってきた朝日染色(栃木県足利市)。捺染糊(のり)のブレンドも自社で行い、色の力や“コク”が強み。セレクトショップなどとの商売を増やしているが、田邊雅敏社長(59)は「国内だけでは成長はない」と捉え、欧州市場にも積極的に打って出る。
創業の地は東京(現在の墨田区東向島)。大手紡績に務めていた祖父・栗造氏が1918年に立ち上げた老舗工場で、日本で初めてハンカチにプリントを施したといわれる。足利に移ったのは第2次世界大戦中。東京大空襲の前日に家族で疎開したという。
戦後の48年に株式会社化し、本社は東京都内に戻すものの、足利の工場は存続させた。保税工場としてストールやスカーフ、婦人服地を中心に事業を拡大したほか、商社から紹介されたアパレルメーカーとの仕事も増える。海外のデザインをプリントの図案として活用していたが、意匠登録した柄数は4万にも及ぶ。
田邊社長は大学卒業後に大手アパレルメーカーに就職した。成果を上げるなど順調だったが、父・惠造氏(現会長)から家業を継いでほしいと言われる。仕事が楽しく「帰るのは嫌だ」と答えると、「イタリアのプリント工場で修行してみないか」と惠造氏。その言葉に心を動かされた。
イタリアには約3年滞在した。朝日染色に戻ってからは日本とイタリアの両国の伝統を結び付けたプリント工場を作り上げる。その後も企画の内製化などでバブル経済崩壊による不況を脱し、繊維専門商社と共同生産したプリントの事業でリーマン・ショックという荒波を乗り越える。
繊維専門商社や大手アパレル、セレクトショップなどとの取り組みは堅調な動きを続けるが、全体としてはファッション市場低迷の影響を受ける。「これからは国内に加え、海外に目を向ける必要がある」とし、イタリアの服地見本市「ミラノ・ウニカ(MU)2021春夏」(2月4~6日に開催)への出展を決めた。
オートプリントなどにはスピードではかなわず、版代を含めてコストも低くないが、100年をかけて培ったハンドプリントの技術や知識は評価が得られるとみる。ただすぐに結果を求めるのではなく、「一緒に独自の生地を作ることができるのか」「ハンドプリントの需要そのものがあるのか」を探る。
その上で輸出戦略を練るが、「生地の売り買いや加工のタイアップを合わせて、早い段階で1億円ぐらいの塊にしたい」と強調する。
(毎週金曜日に掲載)
社名:朝日染色株式会社
本社:栃木県足利市今福町425
代表者:田邊 雅敏
主要設備:捺染台26面、ダブル幅セミオートプリンター3機、各種染色試験機器など
月産能力:平均8千メートル
従業員:19人