2016年春季総合特集/ぶれない軸と変化への挑戦/巻頭対談/旭化成×三菱レイヨン/独自素材のこだわり戦略/生販とも強固な関係がカギ

2016年04月26日 (火曜日)

【出席者】

旭化成 専務執行役員 繊維事業本部長 高梨 利雄 氏

三菱レイヨン 執行役員 繊維ブロック担当役員 上田 司 氏

 旭化成のキュプラ繊維「ベンベルグ」、三菱レイヨンのトリアセテート繊維「ソアロン」。それぞれ85年、49年の長い歴史を持ち、汎用繊維であるポリエステル長繊維との競合がありながら日本での生産を堅持し、生き残ってきた。現在、世界唯一の2素材は何にこだわり、そのうえで時代に応じて変化してきたのか。旭化成の高梨利雄専務執行役員繊維事業本部長と三菱レイヨンの上田司執行役員繊維ブロック担当役員に独自素材ならではのこだわり戦略を語り合っていただいた。

〈ポリエス長に敗れて、“ならでは”の領域開拓〉

  ――まずは両素材の歩みをお話しいただけますか。

 高梨氏(以下、敬称略)キュプラ繊維「ベンベルグ」はドイツの技術を1931年に導入し生産を始めました。レーヨンと違い、ベンベルグは地域別に限定した企業に技術供与する形であり、アジアは旭化成が受けました。

 最盛期には世界で6、7社がベンベルグを生産していましたが、レーヨン長繊維やポリエステル長繊維との競争に敗れ、海外では最後に残ったイタリア企業も約5年前に撤退し、オンリーワン素材になりました。当社が生き残れたのは裏地、アウター、肌着など、ベンベルグならではの分野を築けたことが、最大の要因だと考えています。

 上田氏(同)アセテート繊維は1930年代に米国・セラニーズが裏地・肌着向けに生産を始めています。当社はセラニーズから技術導入し、58年から子会社の三菱アセテートでジアセテート繊維「カロラン」(現「リンダ」)の生産を始めました。ベンベルグ同様、裏地、インナー分野での需要拡大のあと、ポリエステル長繊維が市場を席巻し、各社は撤退しました。トリアセテート繊維「ソアロン」の生産開始は67年ですが、生き残れたのは婦人衣料という極めて高難度のゾーンに特化する、やや異質な形の事業運営だったことだと思います。

 そして国内は婦人服のカジュアル化で、主力だったワンピース向けが漸減するなか、結果的に輸出主導型事業として活路を求め、95、96年には対米輸出が数量的なピークを迎えます。その後、2001年にテキスタイル事業を三菱レイヨン・テキスタイル(MTX)として分社化しましたが、ソアロンは生地輸出を核に独自性を生かしたブランド戦略を進めてきました。

  ――それぞれオンリーワン素材として、こだわりの戦略があると思いますが。

 高梨 コア用途をしっかり作ることが重要でした。歴史的にコアとなる用途は大きな変遷があります。用途をうまく変えられたからこそ、生き延びられたと考えています。当社のベンベルグも最盛期の生産量は年3万トンで、全量が国内で売れていました。現在は一昨年に増設したとはいえ1万7000トンです。しかも、最盛期の2大用途は裏地と女性インナー、それもスリップでした。女性もワンピースなどで出勤し、その洋服にはもちろん裏地があり、その下にスリップを着る時代でした。

 これが崩れていく。ベンベルグと大差がなかったポリエステルの原糸価格が一気に下がります。その後はある意味、ポリエステルとの競争に敗れる歴史です。とくに変化がドラスティックだったのは裏地です。裏地がある衣服が減るだけでなく、ポリエステルへの代替も進み、国内投入量はピーク時の4分の1ないし5分の1になりました。スリップは探すのが難しいほど需要が無くなっています。

 それが、今では機能肌着とアウターなど新用途が裏地同様の販売量に成長しています。アウターは国内産地との取り組みに加え、グローバルな展開でバリエーションが広がっています。これらにインド・パキスタンの民族衣装向けを加えた4用途がベンベルグの柱です。

 環境が激変するなかで、“ならでは”の領域を築けなかった他社が撤退するなかで、当社は新たな用途を生み出し、グローバルに市場を求めて展開してきました。社内では「絶えざる革新・変化」と言っていますが、当社が生き残れたのは、これをやり切れたことに尽きると思います。

〈売り込むのでなく、要望される素材に〉

 上田 MTX設立時の01年にセラニーズがトリアセテート繊維から撤退した結果、ソアロンはオンリーワン素材になりました。ちょうどその当時、流行していたのがSMAPの「世界に一つだけの花」です。この歌にちなんで「ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン」を戦略に定めましたが、ソアロンの場合はコアのマーケットでトレンドに合致させながら、素材の特性が生かせるモノ作りを続けてきたことがポイントです。ビジネスを継続するには何が必要かという発想で事業を考え、「発色、清涼、ドライ、ドレープ、仕立て映え」という独自の機能性や素材力を、いかにマーケットの要望と合致させてモノ作りできるか。つまり、「売り込む素材ではなく要望される素材」を合言葉に商品戦略を追求してきました。

 オンリーワン素材ですから、希少性を顧客に価値として認識してもらう活動に心を砕き、ファンを増やすこともマーケティング戦略の軸にしてきました。オンリーワン素材ですから“孤立”しないことも重要です。産地企業、販売先とも明確なパートナーとして協業することに腐心してきました。

 高梨 ファンを増やすという点ではベンベルグも全く同じで、昨日きょうの顧客は少ない。長年の取り組みを通じて一緒に発展してきた顧客が多く、共同開発のなかで技術も共有してきました。

 ソアロンも同じでしょう。ただ、ベンベルグは100%素材が少なく、他素材との複合が中心ですから、ベンベルグに対する知見、愛着がある産地企業と協働しなければ開発はできません。年2回開くアウター展は産地企業に参加してもらい、独自色を競ってもらっています。今後はイタリア、中国など海外のパートナーとも連携を強化し、開発競争をグローバルに広げていく考えです。

 ところで質問なのですが、ベンベルグはチョップテキスタイルが3割以下で、恐らくソアロンとは全く逆です。この違いはどこから来るのですか。

 上田 私の印象ですが、ベンベルグは糸そのものに明確に表現できる個性がありますが、ソアロンはモノ作りの各工程の力で特色を出しています。つまり、糸では持ち味を出しにくい。テキスタイルとして市場で評価される面があるため、自社でテキスタイルに仕上げる必要があると思います。

 高梨 互いに「隣の芝生は青い」のかもしれませんね。ベンベルグの原糸販売担当だった90年代前半に目にしたソアロンの堅固な生産チームを思い出します。当時はベンベルグもアウター素材が主軸に育っていないころで、産地を回りながら「目指すべきはソアロン」と考えていた時期がありました。

 上田 生産チームとしては現在も約30社が参加する「三菱レイヨン会」がありますが、その結成はジアセテート繊維カロランの生産より早い。原糸生産より先に産地の川中基盤構築に手をつけています。これが今も脈々と生きていると感じます。

 高梨 ベンベルグも今では全国の産地企業、30数社の生産チームがありますが、ベンベルグにチョップが少ないのは、ポリエステル長繊維撤退後、ファッションビジネスに資源を投入する余裕がなく、原糸販売に重点化したこともあります。シーズンごとに新しいものをクリエートするのは難しく、量が取れる方向を指向した。ですから、旭化成せんいへの分社時にアウター用テキスタイルはより機動力を高めるために旭陽産業(現・旭化成アドバンス)に移管しました。

 上田 当社もMTXへの分社時、機動力強化は主眼にありましたね。

〈同じオンリーワンでも用途展開には違い〉

  ――ソアロンの主力が婦人服地であるのに対し、ベンベルグは用途展開が広範です。その差はなぜ生まれたのでしょう。

 上田 ソアロンは物性面から用途展開に限界があります。求められるマーケットを追求した結果、婦人服地になりました。元々はサテンなどによるドレス用途が多かったのですが、後にウール代替としてスーツ用に「ミッション」がヒットするなどコア用途である婦人服での優位性を、市場の要望と合わせられるモノ作りが出来ています。

 高梨 ベンベルグはかつて、100%使いによるサンドウオッシュ加工品がアウター用途でヒットしました。今も残っていますが、日本では少なく、ベンベルグを味付けで生かしているケースが多い。ほとんどが複合素材です。ベンベルグは混率ではおそらく2~3割です。

 上田 ソアロンもほとんど他素材との複合ですが、テキスタイル用の糸量は7割以上を占めます。

 高梨 サンドウオッシュのトレンドがまた来ればと期待はしますが、ブームはまた凹みます。

上田 その面で両素材とも民族衣装のようにトレンドに左右されないマーケットを持つ点は大きいですね。民族衣装も地政学的リスクはありますが、毎シーズンの変動が少ない。

 高梨 ソアロンの中東民族衣装向けと同じく、ベンベルグもインド・パキスタンなどの民族衣装向けで吸湿性や柔らかさという強みを発揮して絹代替としてうまくはまる市場が見つけられました。

  ――両素材ともアウターで採用が増えていますが、この傾向をどのようにみますか。

 高梨 アウターは急激にではなく、ステディーに伸びていると考えています。一つは表現力を付けたことが大きいですね。本来、ベンベルグは春夏素材ですが、ウールとの組み合わせた秋冬物などポテンシャルの広がりを感じます。

 欧州でもベンベルグ使いの商品群が形になっています。欧州はサンドウオッシュ加工品が多いのですが、織物だけでなくニットにも広がっています。欧州向けの生地供給は韓国や中国、トルコの企業と取り組み、グローバルな展開ができてきています。

 上田 ソアロンも欧州輸出は伸びています。「プルミエール・ヴィジョン」(PV)に08年から継続出展し、訴求してきたことが実り、ここ2、3年拡大しています。PV出展と同時にパリにショールームを設け先行的に顧客を招いて商談するなど、種まきが確実に実を結んできました。

 国内でも文化服装学院と、06年から「ソアロンデザインコンテスト」を開催し、未来の業界人に素材を認知してもらう地道な努力を続けています。その効果か分かりませんが、アパレルの若手の方に認知は広がっています。

〈為替の変動にも右往左往しない取り組み〉

 高梨 ただ、プロモーションにお金をかけても業界人までが精一杯というのも事実です。アンケートでもベンベルグを知っている消費者は、裏地を含めて3~4割という結果に愕然(がくぜん)としたこともあります。

 上田 それでも独自素材では価値を高めるためには、ブランド戦略は重要です。社内でも判断に迷ったときには自分のやろうとすることが「ソアロンの価値を高めているかどうかを基準にせよ」と常々言っています。

 高梨 地道にコツコツ執念深くやるしかない。また、ブランド力の前に社内でも価値観を共有できているかが重要です。まず社内で「アイ・ラブ・ベンベルグ」になっているか、一人ひとりがプロモーションのリーダーとして盛り上がってほしいと、現場をたきつけています。

  ――さて、輸出比率も高い両素材ですが、外的環境の変化で留意されていることはありますか。

 高梨 ベンベルグの原料となるコットンリンターはインドの綿実油の搾油企業と提携し、副産物であるコットンリンターを全量、買い取るスキームを構築しています。現在は3分の1がこの仕組みによる原料調達です。しかし、為替相場、原油価格などコントロールできない部分もあります。ですから、常に新しい物を作り続け、価格を上げるしかないと思います。

 上田 輸出担当だったときも、為替相場は変動しました。当時の判断で良かったのは顧客とのビジネス継続という合意を持ち続けたことです。円高で採算が悪化してもロスの削減やコスト低減で自助努力に取り組みました。それでもカバー仕切れないため商品価値を高めて、高く買ってもらう努力もしました。

  ――円安に振れれば輸出を強化するという声も多いですが。

 高梨 そのブレはありません。為替相場が1㌦=80円時でも輸出しています。それは20、30年前の議論です。為替が有利に働くからと言って方針を変更するかつての汎用繊維のような考えはありません。ソアロンも同じだと思いますが、海外顧客も長く取り組む先がほとんどです。為替変動で右往左往しない取り組みしか残っていません。

 上田 それが独自素材の強みでもあります。顧客ときちんと取り組みができており、相手が必要性を感じれば妥協点を見いだし、協力できることもある。多少の変化であれこれ言わない顧客との取り組みならではです。

 高梨 環境変化は為替相場だけではなく、関税など貿易条件もあります。インド輸出はルピー安で以前より厳しくなっていますが、関税が下がるなど経済発展のなかで貿易条件は大きく変わります。その意味でポテンシャルのある国を相手にする重要性は大きい。今後、イランなども変化があるでしょうし、フロンティアは絶えず追求し続けなければなりません。

有力市場を失った際の打撃は大きい〉

  ――逆に、独自素材の「弱み」をどうとらえておられますか。

 高梨 有力用途、有力マーケット、有力顧客を失ったときの取り返しのつかなさは常々、頭の片隅にあります。

 上田 「オンリーワン 価値がなければ ラストワン」と洒落(しゃれ)るわけではありませんが、価値が提供できなくなれば不要になってしまいます。常に緊張感を持ち、どのようなパートナーと取り組むかを考えます。

 高梨 この数年間、ベンベルグは好調が続いていますので現場の危機感は薄くなっていますが、良いなりの心配はあります。フル生産、フル販売が続くと、どうしても開発・開拓意欲が鈍ります。だからこそ「開発、開拓をせよ」と言い続けています。本当に万が一のことが起きたときのショックは大きいですから。

 上田 物事が順調だと思い入れを超えて、思い込みになります。ですから、今回数値目標を持たないグローバルマーケティング部を新設しました。現業とは関係なく、新しいネタを探索させるためです。順調だとつい見逃しがちですが、緊張感を持つことは必要です。

 高梨 当社も川下に出て、顧客の意見を取り入れた営業を行う必要があると考え、SCM推進室を新設しました。顧客の懐に入り込んだ商品開発を指向することでアウター向けの安定感につながると考えています。そして現在の国内SPAとの取り組みに続く仕組みをグローバルに作っていきたい。少しファッション音痴になってしまった面もありますから、勉強を兼ねてアウターでの力を取り戻していきたいと思います。

  ――一方で、生地生産を担う日本の川中企業の疲弊が座視できないところに来ています。その対策は。

 高梨 悩ましい問題ですね。目先で最も困っているのは撚糸工程です。このため、旭化成アドバンスなど関係会社を通じて能力を維持する取り組みを進めています。染工場も減っていますので頭の痛い問題ですが、残った企業としっかり取り組みながらやっていくしかありません。

 上田 フォローしながら、ボトルネックを極力和らげるしかありません。協業するパートナーと責任を持って一緒に事業運営できる形を作っていくしかないと思います。

  ――最後に両社とも4月から繊維事業を本体に一本化しました。

 高梨 旭化成せんいは03年からの歴史を3月末で閉じましたが、使命は「独り立ちをする」ということでした。簡単に言えば、分社化直前にレーヨン、アクリルの撤退を終えており「残った事業でしっかり稼げる体質にせよ」というミッションでした。それから12年半。売上高は倍近くに伸び、当初目指していたよりも、良い形になっています。その面で感慨深いものはあります。

 上田 当社もテキスタイル事業がほかと異なる戦略だったので、MTXに分社化し、どのような体制ができるのか、独自に検討するということでした。そして来年3月には当社と三菱化学、三菱樹脂のグループ3社が合併します。その際、他部門とシナジーを発揮し、展開の幅が広げられる繊維事業でありたいと考えています。それは分社化していてはできません。本体にあって展望できることです。

  ――ありがとうございました。