秋季総合特集【2】トップインタビュー・紡績編/クラボウ社長・井上晶博氏/初志貫徹で海外戦略を/繊維は構造改革の成果期待

2013年11月12日 (火曜日)

 「繊維産業はこれまで多大な時間と労力を支払って(海外進出による)現在の生産構造を構築してきた。初志貫徹で商品開発、コストダウン、海外戦略を地道に続けていくしかない」。クラボウの井上晶博社長は、こう指摘する。クラボウも今期から始まった3カ年中期経営計画「Future‘15」の基本方針に「海外戦略の充実」を掲げる。とくに繊維事業は、懸案だったデニム事業で大胆な構造改善を断行するなど手を打った。井上社長は「来期以降の繊維事業は、大いに期待できる」と中期経営計画の達成に全力を挙げる。

(いのうえ・あきひろ)

 1971年倉敷紡績入社。2001年取締役、03年常務、06年専務。07年から社長。

――政府の経済政策が大きく変化したことで年初から景気も回復の兆しを見せています。一方、繊維産業への波及効果は、いまだ未知数との見方も強いですが、繊維産業が“失われた20年”から反転攻勢するために、何が必要でしょうか。

 いわゆる“アベノミクス”によって大胆な金融緩和が行われ、円高が修正されたことは経済活動にとって最大の環境変化です。昨年までは異常な円高による輸出減少と輸入品の氾濫が業績悪化の理由とされていたわけですが、今度は円安による原材料価格上昇と縫製品の輸入コスト増加を嘆いているのが現在の日本の繊維産業です。しかし、円高・円安にかかわらず、環境の変化に素早く順応して過去最高の業績を達成している企業も少なくないことを忘れてはなりません。

 ただ繊維産業の場合、長期にわたって、円高はファッションの位置づけを変えてしまいました。ファストファッションの普及によってデフレが急速に進展したわけです。若者の間でもファッションに対する価値観が変化しており、高額商品を購入して喜びを感じるケースが少なくなっています。そうしたなか、多くのメーカーと商社も安価な労働力と輸入の為替メリットを求めて生産基盤を海外に移しました。当然、現地の労務費高騰や中国での反日運動など新たなリスクも経験しているわけですが、しかし多少円安になったからと言って、生産が劇的に国内回帰するとは考えられません。そもそも国内には為替だけでなくエネルギー問題やインフラコスト、高い法人税、厳しい労働規制など製造業にとって厳しい環境が続いているからです。さらに少子高齢化もあり、人口構造や雇用環境が劇的に改善するとも考えにくい。そうなると各社とも、これまで多大な犠牲を払って現在の生産構造を構築したわけですから、初志貫徹で商品開発やコストダウンを進め、生産も販売もグローバル展開するという努力を地道に続けるしかありません。そうやって、海外で獲得した利益を国内に様々な形で還元していくことが、日本の繊維産業が反転攻勢するためのポイントになると言えるでしょう。

――今上期(2013年4~9月)も終わりました。

 アベノミクス効果もあり、消費増税前の駆け込み需要が活発な住宅関連や自動車は急回復していますが、一方で消費増税後の反動と建築資材高騰やマンパワー不足が懸念材料。都市部の百貨店では宝飾・時計など高額品の売れ行きが好調のようですが、一般衣料については消費者が廉価品に慣れてしまい、ファッションへの興味が回復するには時間がかかっています。当社の業績に関しては、期初計画に対しては増収増益を達成できました。繊維事業と化成品事業は前期比増収です。繊維は原糸事業が引き続き堅調。早くからグローバル生産・販売体制を敷いてきた成果です。ユニフォームは依然としてアパレルの生産調整で苦戦ですが、ここにきて底入れ感が出てきました。カジュアルは大手SPA向けが安定していることに加え、それ以外の取引先への販売でも収益性が高まってきました。

――上期は構造改革にも踏み切りました。

 苦戦が続いていたデニム事業に関しては、上期に中国子会社の倉紡〈珠海〉紡織を閉鎖するなど構造改革を断行しました。倉紡〈珠海〉紡織に関しては、現地の環境規制が強化されたことで稼働率が50%台まで低下していたうえに、当局から土地再開発の話まで出てきたため閉鎖を決断したわけです。そこで新たに香港のHWテキスタイルと合弁で香港にクラボウ・デニム・インターナショナルを設立しました。HWテキスタイルが中国広東省中山市に持つデニム工場で当社が技術指導して生産したデニムを「クラボウ・デニム」ブランドで欧米に販売します。当社は製造拠点が必要であり、HWテキスタイルはブランド力を求めていたことで話がまとまった。良いパートナーが見つかりました。非繊組事業では化成品は堅調でしたが、エレクトロニクス、エンジニアリング、バイオ関連が苦戦したのが誤算でした。まだ企業の設備投資がまだ本格回復していないことが要因です。

――今後の重点課題をお聞かせください。

 繊維事業に関しては倉紡〈珠海〉紡織に加えて国内の北条工場も閉鎖するなど設備縮小による思い切った体質改善を行いましたから、来期以降は大いに期待できるでしょう。化成品は引き続き自動車向けの好調が続きそうですし、苦戦していた建材も回復の兆しがあります。化成品事業の最大の課題は、フィルム事業。三重工場の第一、第二工場はすでにフル稼働ですから、あとは第三工場で生産するスーパーエンプラフィルムの販売拡大に尽きます。上期に苦戦したエレクトロニクス、エンジニアリング、バイオメディカルは、来期には全部門を黒字化する。とくにエンジニアリング分野はバイオマス発電関連に期待しています。

――今期から3カ年中期経営計画がスタートしました。

 例えば繊維事業ではインドネシアや中国での内販に取り組んでいますし、繊維資材関連でも米国や中東向けなど輸出に力を入れ場合によっては新たな海外生産拠点設立も視野に入れています。海外戦略の充実という基本戦略に対して、引き続き全力でチャレンジします。

思い出のオリンピック/赤と白のコントラスト

 「開会式の日本選手団のユニフォームの赤と白のコントラストが鮮烈に記憶に残っている」と、井上さんは1964年の東京オリンピックを振り返る。当時は高校1年生。学校の体育館のテレビで入場行進を見たそうだ。「なにしろ当時はカラー放送が始まって間もないころで、カラーテレビもまだ普及していなかった」だけに強烈な印象を残した。それ以外にも女子バレーで“東洋の魔女”と呼ばれた日本女子チームが相手のオーバーネットであっけなく優勝を決めたこと、最後の最後でイギリスの選手に追い越されて銅メダルになったマラソンの円谷幸吉選手の苦渋の表情などを思い出す。