シリーズ工場へ行こう!/ダイワボウレーヨン益田工場/品質と革新でレーヨン生産の灯を守る

2010年09月17日 (金曜日)

 ダイワボウレーヨン益田工場(島根県益田市)は、日本でも数少ないレーヨン短繊維の製造工場である。人類初の人造繊維として化合繊時代を切り開き、近年では天然由来原料によるエコロジー繊維として人気の高いレーヨンだが、現在の日本では生産する工場は2社しかない。ダイワボウレーヨン益田工場がそのひとつだ。日本におけるレーヨン生産の灯を守り続けると同時に、技術開発でレーヨンの新しいフィールドを切り開いている工場である。

背水の陣で再出発したレーヨン事業

 島根県西部に位置する益田市。全国の一級河川のなかで唯一、ダムがないことから“清流日本一”と言われる高津川が流れる。その高津川のほとりにダイワボウレーヨン益田工場がある。

 工場の歴史は1934年(昭和9年)に設立された出雲製織石見人絹工場にさかのぼる。41年(昭和16年)には紡績4社統合で生まれた大和紡績(現ダイワボウホールディングス)石見人絹工場として一貫してレーヨン生産を担ってきた。だが、ポリエステルの登場などで本格的な合成繊維時代が幕を開けると、レーヨンなど化学繊維は劣勢に立たされることになる。多くの素材メーカーがレーヨンから撤退した。

 82年、ダイワボウもレーヨン短繊維製造部門をダイワボウ益田として分社化し、88年には製販一体のダイワボウレーヨンが設立される。それは苦戦が続くレーヨン事業にとって、背水の陣を意味した。

 ところがその年、東欧革命の混乱のなか、東欧諸国の紡績用レーヨン短繊維生産能力が低下する。世界的に供給不足となり、パキスタンやインドから日本への引き合いが急増した。神風的な市況回復で、ダイワボウレーヨンは設立初年度から黒字となる幸運に恵まれた。

 それでも、市況好転は一時的なものに過ぎない。同社が今日までレーヨン生産の灯を守り通せたのは、かつては“スフ”と呼ばれ、低価格繊維の代表だったレーヨンを変革したからだ。ひとつは用途。従来の紡績用途に加えて、スパンレース不織布用途を柱に育て上げる。不織布向けは品質基準が厳しい。現在でも益田工場としてもっとも力を入れるのが、品質の安定と向上である。もうひとつがレーヨンの機能繊維化だ。ここで練り込み技術が登場する。

レーヨンを変革した練り込み技術

レーヨンを変革した練り込み技術

 従来からレーヨンでは、ダル化のために酸化チタンなど無機物を練り込む方法が活用されていた。だが、現在のように機能剤のような有機物をビスコースに練り込むのは難しいと考えられていた。益田工場がダイワボウから分社化されたちょうどそのころ、ダイワボウでは綿にフタロシアニン加工した消臭繊維「デオメタフィ」を開発する。これをレーヨンにも適用できないかということで、同じ加工が可能なレーヨンの開発指令が益田工場に出される。

 通常レーヨンでは加工できなかったため、様々な加工剤をビスコースに練り込む方法を模索して開発に成功するのだが、その過程で薬剤など有機物をレーヨンに練り込む技術が確立された。それは抗菌レーヨン「スナイパー」として、独自の機能レーヨンの誕生につながる。当時、開発課の課長として開発の陣頭指揮に当たっていたのが現社長の岡本彬氏だったと、部下である製造係長だった有持工場長は振り返る。

 以降、練り込み技術を活用して、ミルクプロテイン練り込みの「ミレー」、カルボキシル基練り込みの「パラモス」など様々な機能レーヨンのヒット商品を生み出すことになった。それはレーヨンを“安物のスフ”から、“環境と健康・快適に貢献する機能素材”に変革したことを意味する。レーヨンの変革が、この益田工場から始まったのである。

時間をかけたモノ作りが品質につながる

 レーヨンの製造工程は、大きく分けて原液工程と製綿工程に分けることができる。パルプからビスコース原液を作るのが原液工程、そのビスコースを紡糸し、カットして短繊維やショートカットファイバーにするのが製綿工程である。非常に長い工程を経てレーヨンが生まれるのだが、益田工場では品質のためにビスコースの熟成に時間をかけるなど丁寧なモノ作りが行われている。

 原液工程では、まずパルプをカセイソーダと反応させアルカリセルロースを作り、そこに二硫化炭素を反応させたザンテートという反応物を作ったうえで、再びカセイソーダに溶解させて水あめ状のビスコースとなる。このときに重要なのが、老成と呼ばれる工程。アルカリセルロースは、できたばかりでは重合度が高すぎるため、老成室で寝かすことで重合度を調整する。益田工場では、この工程が30年以上前から完全自動化・無人化されており、巨大なタンクが自動で出し入れされる光景は圧巻だ。

 ビスコースに溶解された後も、急いで紡糸するわけではない。やはりビスコースタンクで成熟させた後、各種の濾過機、脱泡機、フィルターを通してビスコースの状態を高めていく。この工程で酸化チタンや加工剤の練り込みも行う。練り込む鉱物や加工剤の量などの制御は流動計を通じてコンピュータ管理する。パルプから紡糸前のビスコースまで、じつに24時間が経過する。この手間ひまが、そのまま品質に直結する。

 ここからが製綿工程だ。ビスコースが硫酸と硫酸亜鉛による凝固液中にノズルを通じて押し出され、そのままレーヨン繊維となる。ノズルは酸に耐えるために純金・プラチナ合金製。工場内で使用するパーツの中でもっとも高価なものである。繊維化されたレーヨンは、延伸された後、カッターで短繊維化され、精練を経て真っ白なレーヨンわたとなる。紡糸後に延伸することで自然に捲縮が生まれる仕組みだ。

 もうひとつ重要なのが環境処理設備だ。レーヨン紡糸工程では、ビスコースがセルロースとして再生する過程で硫酸ナトリウムが生成される。硫酸ナトリウムは、染色加工剤や入浴剤、乾燥剤など様々な用途があるため、益田工場ではこれを紡浴回収設備で回収して、化学メーカーに販売している。また、紡糸工程は硫化水素と二硫化炭素が発生するが、こちらも硫化水素は硫黄化合物に転換させ二硫化炭素だけを回収し、再利用する。

 レーヨン生産では、多くの化学薬品を使用するが、益田工場では回収・再利用で可能な限りクローズド・システムを作り上げ、環境汚染を防いでいる。このため益田工場では、レーヨン製造設備よりも、環境処理関係の付帯設備の方が、じつは多くの面積を占めているのだ。だからこそ、工場の横を流れる高津川は、いまでも清流日本一なのである。

     ◇

 近年、世界的にレーヨンブームが続いている。天然由来原料を使った環境に優しい繊維というイメージがすっかりと定着した。日本において、こうしたレーヨンのイメージ革新に貢献してきたのが益田工場である。国内でのレーヨン生産の灯を守るために、工場の挑戦は今日も続く。

ボイス/取締役工場長・有持正博氏/品質と開発で生き残る

 30年ほど前までは日本にレーヨンメーカーは15社ありましたが、現在では当社を含めて2社しか残っていません。一方、世界のレーヨン生産量は年間約300万トン。これに対して当社の生産量が年間約2万トンですから、量の面で市況に影響力を行使することは不可能であり、価格・量で競争できないことは明らかです。

 ですから、やはり品質と開発で勝負するしかありません。安定供給力を含めた品質で、他社にはできないモノ作りを製販一体となって取り組んで行くことです。ここにきて益田発の開発商品が市場で評価されるなど成果も出てきました。ミルクプロテイン練り込みレーヨン「ミレー」やカルボキシル基練り込みレーヨン「パラモス」、防炎レーヨン「FRコロナ」などです。当社は、早くからレーヨンへの機能剤練り込み技術を確立し、多くの機能レーヨンを開発してきました。この技術力が益田工場の強みといえるでしょう。現在も様々な開発を進めており、細繊度化でも現在は単繊度0・3デシテックスまで可能になりました。

 益田工場としては、今後も開発を徹底的に行うと同時に、製造面では一層の品質向上を目指して取り組んでいく考えです。

逸品拝見/世界で勝負する「FRコロナ」

 益田工場発の機能レーヨンを代表する商品が、防炎レーヨン「FRコロナ」だ。米国ベッドマット市場を中心に世界で勝負する。無機物を練り込んだレーヨンであり、最大の特徴は燃焼時に無機物が骨格として残り、穴が開かないことだ。つまり、燃えないのではなく、炎に対するバリア性を持つ繊維なのである。

 FRコロナが世界的に注目を集めた背景には、米国でのベッドマット防炎規制がある。米国ではタバコの火によりベッドマットが燃えて火災になるケースが多く、これを解消するため2005年にカリフォルニア州が新基準を制定したことを皮切りに規制が強化された。この新基準をクリアした繊維がFRコロナである。ベッドマットのウレタンフォームの間にFRコロナの不織布を挟み込むことでタバコの火がウレタンに延焼するのを防ぐ仕組みだ。06年に販売を開始し、現在では同社の対米輸出の主力商品となった。

 もちろん開発は簡単ではなかった。相当量の無機物を練り込むため、練り込み段階での制御が極めて難しい。実際に開発段階では、量産プラントで練り込む無機物のハンドリングに試行錯誤を繰り返した。また、規制基準をクリアするためにテストも繰り返した。その意味でも、益田工場の技術力を結集して開発した商品といえる。

 現在、難燃性能を高めた「FRL」、耐洗濯性能も付与した「FRX」などFRシリーズの進化も進めている。