トップインタビュー/クラボウ社長・井上晶博氏 原点回帰で反転攻勢

2007年10月30日 (火曜日)

 今第1四半期は、繊維事業が営業赤字になるなど予想外の苦戦を強いられたクラボウ。先進国型紡績企業として力強い歩みを進めてきた同社だけに、6月に就任した井上晶博社長は「少しおごりがあったのは事実。下期に向けて原点に立ち戻ってトータルコストダウンなどを進める」と決意を語る。販管費の見直しなど、合理化の基本に立ち戻って、とくに苦戦したカジュアルの再構築に全力を挙げる考えだ。また、海外事業に関しても、チャイナプラスワンとしてベトナムなどをリサーチする。反転攻勢に向けて、いよいよ“井上カラー”が前面に出てきそうだ。

カジュアル再構築がカギ

  ――社長就任から、約3カ月経ったわけですが、心境などに変化はありましたか。

 これまで30年以上、営業一筋でやってきて、そのころは絶えず同僚や部下とワイワイガヤガヤと仕事をしてきたわけですから、やはり社長室に1人でいるのは面白くありませんね。ですから、できるだけ現場に顔を出すようにしています。やはり社長になると、どうしても自分から積極的に情報を求めるようにしないといけないなと感じます。今後も、そういう心構えでやりたいですね。

  ――最近の経済動向や市場環境をどのように見ていますか。

 マクロ経済は悪くないですね。ただ繊維産業に限って言うと、強いところと弱いところの差がはっきりしてきた観があります。あと、日本人はサブプライムローン問題を軽視しすぎです。これが原因で米国経済が後退すれば、中国や東南アジアからの北米向け輸出にも影響が出ます。そうなると、世界全体の繊維産業が悪影響を受ける可能性があります。また国内政治の停滞も懸念材料です。ここにきて年金問題など将来不安が原因で、個人消費にブレーキがかかるのが怖い。

 しかし原燃料高が最大の問題です。綿花はもちろん、最近では染料の高騰が問題化しています。供給過多のなか、価格転嫁できるかどうかというのは結局、商品力の問題です。そうなると天然繊維というのは、圧倒的な商品力を作るのが非常に難しい。しかも製品価格が上がらず、ここはデフレ状態です。にもかかわらずユーザーから求められる品質は一段と高度化していますので、ますますコストアップになって苦しくなるという構図ですね。

  ――先進国型紡績業として、これまで好成績を上げてきたわけですが。

 まだまだ事業のスピードが足りません。例えば、3年前からメードイン・ジャパンのジーンズとしてクラボウの素材を日本で縫製して欧米に輸出しています。年間100万ドルレベルのビジネスになりましたが、まだまだ足りないというのが実感です。もっとスピードアップする必要がある。

 それと国内紡績設備ですが、10年前と比較すると、当社は92%を維持しています。これは驚異的な頑張りでしょう。実際に苦しい場面もあります。短期的なら、国内設備を縮小した方が効率的というのは確かです。ただ長期的に見れば、開発力の面で国内に生産基盤としてのマザーファクトリーを持っていないと将来性がなくなってしまいます。ですから、当面は現状の規模を維持するつもりです。

トータルコストダウン推進

  ――旭化成せんいとのコラボで「J―ファイバー」の取り組みが始まりました。

 ベンベルグは、世界で旭化成せんいさんだけの素材ですから、そこと組むことで、さらに付加価値の高い商品を作ることができることから、今回の取り組みになりました。

  ――今上期の商況はいかがでしたか。

 非常に厳しいですね。原燃料高騰にもかかわらず、価格転嫁が思うように進みませんでした。とくにカジュアルが苦戦です。ただ、単純な値上げは難しいので、やはり商品内容を入れ替えていくことが重要になります。それと、悪いときはやはり“原点”に戻ることです。思い起こせば、「一村一品運動」を始めたころは、皆必死でした。当時も業績は苦しかったのですが、そのなかで若い社員が中心になって開発などを進め、それが実ったわけです。そう考えると、やはり、これまでおごりがあったといえます。ですから基本に立ち返って、コストダウンをいま一度徹底するつもりです。これまでは、投資も進めてきましたし、海外出張なども積極的に行ってきましたが、仕入れコストの管理なども含め販管費の見直しなどで、もう一段のトータルコストダウンを目指します。下期に向けて、内部の変革を進めたいですね。

  ――東京支社を2営業部体制にするなど、機構改革も進めています。

 ニット事業を東京に集中させるためです。ニットに関しては、東京市場のウエートが高いので、そこに集中することが目的です。一方、シャツ、ジーンズは大阪にも大きな市場がありますので、引き続き大阪で担当します。カジュアルに関しては、東京シフトは今後も強まる可能性があるでしょう。下期に向けては、苦戦するカジュアルの再構築が最大のカギになります。

  ――海外事業についてはいかがですか。

 すでに言われていることですが、中国でコストメリットを追求する時代は終わりました。そうなると“チャイナプラスワン”ということになるわけですが、ここでミャンマー問題が起こった。また、タイやインドネシアは為替が非常に高い。そうなると、ベトナムかなということになります。海外事業も難しい判断を迫られる時代になりました。

 当社の場合は、タイとインドネシアですでに事業を展開しているので、まずはそこで頑張るというのが第一です。また、中国は北京五輪後に景気が後退する懸念もあります。縫製拠点に関しては、ベトナムなどをリサーチする必要がある。

  ――非繊維事業の状況はいかがですか。

 化成品は原燃料高の影響が大きかった。価格転嫁もなかなかできません。ただ、下期には回復する見通しです。後、もう一つの柱であるエレクトロニクス事業は順調です。まだ規模は小粒ですが、今後は大きく育てて生きたいですね。

  ――最後に、下期に向けての意気込みを。

 やはり上期に不振だった繊維事業を頑張らないといけません。そのために、カギを握るカジュアルの再構築に全力を挙げる考えです。

心に残る“昭和”の風景/空に伸びる東京タワー

 1958年(昭和33年)に完成した東京タワー。井上さんにとって忘れられない“昭和の風景”である。当時、小学生だった井上さんは、一般に初めて公開された際に駆けつけ、その空に伸びる東京タワーを見上げた。「あれから日本の高度成長が始まったわけですから、そのシンボルでしたね」と懐かしむ。それから約半世紀。いまでは東京の超高層ビルから東京タワーを見下ろすことも珍しくない。それは成長した日本の姿なのだが、「昭和の日本人は、働き者でしたね」と、失われたかもしれない“何か”に思いをはせる井上さんである。

(いのうえ・あきひろ)

1971年倉敷紡績入社。2001年取締役、03年常務、06年専務を経て、07年6月社長。