2020夏季総合特集Ⅲ(1)/コロナショックに負けない/国内生産継続のボトルネックを解消する/VMM基板研究グループ(紀州繊維工業協同組合)

2020年07月22日 (水曜日)

 国内産地で長期間稼働する機器には保守部品の供給不安の問題がつきまとう。一部の部品が修理、調達できなくなることで機器全体が使えなくなることもままある。それを自分たちで解決する取り組みが高野口産地(和歌山県橋本市)を中心に実を結びつつある。取り組みを進めた妙中パイル織物の妙中清剛社長にこれまでの経緯を聞いた。

〈旧型織機の互換基板を製作〉

 妙中パイル織物の織布工場では、ベルギー・バンデビーレ製の織機が26台稼働している。妙中社長によると、同社がバンデビーレ製織機を本格的に導入し始めたのが1983年。当時のバンデビーレ社の織機はアナログ制御だったが、少しずつ電子制御化が進んでいた。

 電子制御化が完了した世代の織機が「VMM」で、平成に入った1990年ごろから次々に導入を進めた。現在も19台が現役で稼働する。妙中社長は「電子制御になっただけでなく、杼(ひ)替えなどの使い勝手も向上した」と振り返る。

 妙中パイル織物では、本格的に導入する以前に、1台だけバンデビーレ製の織機を保有していた時期があった。バンデビーレ社がカーペット織機を祖業としていたこともあり、重い生地をがっちりと織り上げる質実剛健で力強いとの好印象をその頃から持っていた。妙中社長は「VMMも頑健な構造で、頼もしい織機」だと語る。

 しかし、電子制御を行うための基板は、数十年の稼働に耐える織機本体ほど頑丈ではなかった。近隣への落雷など、不測の事態で基板が傷み、織機が動かなくなることもあった。「バンデビーレ社製の織機は積極的な電子制御の導入で世代交代が進んだ。同社の経営母体も変わり、VMMの部品の購入が難しくなっていった」

 世代交代が進むと織布速度も上がったが、パイル織物は織布手法の特性上、速度を上げるにも限界がある。VMMで思い通りのモノ作りが既にできており、新型に更新するメリットは薄く感じられた。さらに近年の生産量では、設備投資を短期間で回収するのは難しいという事情もあった。

 妙中パイル織物だけでなく、VMMを主力生産に用いる国内の生地製造企業は同じ悩みを抱きながらも操業を続けていた。

〈得難い重厚さ、これからも〉

 しかし、2010年ごろに、少し風向きが変わってきた。ITMAアジアを見に行った、同じ高野口産地内でVMMを使う阪國織物(和歌山県橋本市)から、「トルコにVMMのさまざまな互換部品を扱う企業があるようだ」との情報を得た。当時、トルコにも現役で稼働するVMMが多く、現地で独自に保守を行う市場が確立されていた。

 早速、商社の協力を得て、トルコからレピア針など、消耗部品の互換品を輸入し、自社で“実験”したところ、問題なく使えることが分かった。「ならば基板も」との期待が膨らみ調査を進めたが、修理はできるが、互換品はないとの結論だった。

 しかも、「修理は故障品と正常品の二つをトルコに送り、正常品を見ながら故障品を修理するような形だった。織機1台が故障で止まって困っているのに、2台も止めることはできない。現実的ではなかった」。しかし、互換基板を作れば問題は解決する――という発想は、この頃に生まれた。

 発想が具体的な形になるのには少し時間かかったが、国内のほとんどのVMMの保守を行っている技術者の協力を得られたことや、妙中社長が和歌山県中小企業団体中央会の会長に就いていたことで得た人脈を基に企業を探し、互換基板を製造できる体制を確立していった。

 18年には、高野口産地だけでなく、VMMを使用している全国の企業に声を掛け、VMMの互換基板の製造の狙いと計画を説明、仲間を探し、開発予算の出資を募った。

 現在、妙中パイル織物のほか、阪國織物、シンエイ(=大杉繊維、大阪府和泉市)、関織物(岐阜県関市)、日本シール(大阪市住之江区)、野上織物(和歌山県橋本市)、増田織物(同)、松岡織物(和歌山県かつらぎ町)、米阪パイル織物(和歌山県橋本市)の計9社が、VMM基板研究グループに参加する。

 19年に互換基板の開発が始まり、20年に1号基板が完成。6月には妙中パイル織物の工場で稼働を始めた。今後、グループの企業はVMMの基板が故障した場合、互換基板を購入し、織機の稼働を継続できる体制ができた。

 VMMの延命という各社の大きな悩みは一つ解決した。しかし、「個々のセットアップは互換基板の開発にも協力してくれた技術者がいなければできない。この技術とノウハウをどのように継承するか」(妙中社長)が次の課題となっている。